疲れというものは何気ないようで大変重要だ。
誰しも一日の生活を過ごす中で、疲れは出る。
しかし人間には自己治癒力があるので回復する。
問題は、疲労>回復になったときだ。
これらは日々の蓄積として負担になっていく。
疲労の蓄積は、体のみならずココロの疲労もある。
負担がかかるから、体はイレギュラーな反応を起こさざるを得なくなる。
それが症状として表れてくる。
疲れについて②
疲れは、物質的には老廃物が滞る。その処理が追いつくか追いつかないかで蓄積するかが変わる。
しかし、それだけではおさまらない。
ツケをためることは、新たな働きにも影響が出る。
内臓の働きが弱るし、細胞交換や免疫にも影響が出てくる。
疲れをためることが重なると、いろいろな症状として浄化しようとする。
炎症や出来物など。
あるいは、疲労>回復の図式から、常に疲れが抜けない状態が続き、気持ちの集中力も落ちる。
余裕がなくなる。人間関係にも影響が出る。
ココロの疲れは気持ちの余裕をなくし、自分への不満や周りへの不満をためたり、不安心配をつのらせたりする。気持ちの切り替えがうまくはこびにくくなる。
体の疲れがココロに影響をしたりもする。
いろいろなことが芋づる式に連なってきやすい。
その日の疲れはその日にとっていくのが望ましい。
○ ○病、○○症候群、○○症・・・
こういったくくりでみつめるとややこしく感じる。
まして、原因(起こった背景)を加味せず、対処療法的処置を考えてしまうと、ますますこじれてくる。
わからなければシンプルに考えたほうが良い。
自然的反応や生理をシンプルに組み立ててみる。
そこに真実が隠れている。
多くの病や症状には「疲労>回復」の図式が隠れている。
元々人間には自然治癒力が備わっている。
意識しようとしまいとカラダは自身を制御してバランス平衡をとろうとする。
自動制御だ。
しかし、それが追いつかなくなることがある。
負担が多すぎて平衡制御が追いつかない。
疲労の蓄積である。ココロの疲労、カラダの疲労。
さらにそれにも背景がある。人それぞれ違う。
自律神経の乱れ、内臓機能の低下、生活環境の負担・・・細かく言えばストレスや飲食、運動や怠慢、姿勢など。
それらが本来ある回復力を妨げる。余計な負担がカラダの処理を増加させる。
本来回復するであろう負担が回復されない。
それが蓄積していく。環境が変わらなければその傾向は止まらない。
そして、負担があふれて様々な反応として表れる。
筋緊張からくる痛み、椎間板のつぶれ、筋緊張による骨格構造の負担による神経圧迫や内臓機能低下、炎症、出来物、出血、内部での蓄積によるもの、自律神経の乱れによる生理機能の不和・・・。
始まりは平凡な要素だった。それが積み重なるとこういうことにつながる。
疲れについて④
「年をとったから」というが、実は違う。
若い人と年老いた人。回復力の差はある。
しかし、若くても病むひとはいるし、年老いても元気な人もいる。
年をとってどうという人は、蓄積された結果に過ぎない。あえていうなら年月を重ねて負担をほったらかしてきたとも言える。あるいは今までカラダががんばってきたが、蓄積と回復力そのものの減退が加わり、症状として出やすくなったとも言える。これらは年齢が原因では決して無い。負担をうむ生活環境因子がおざなりになり、体に負担を強いていることこそが問題だ。
例えば菌のせいで風邪を引くというが、カラダの弱り(免疫)・老廃物の蓄積があるから発症する。菌がどれだけあってもカラダに燃やすものがなく、あるいは免疫が正常であれば発症しない。きれいな水に菌を入れても何も起こらない。汚いどろ水に入れると菌は活発に働き出し分解を始める。
しいて原因を挙げれば生活因子の不和があるのではないかという点だろう。
アトピーを薬で抑えてきれいになったので全て片付いているわけでは決して無い。
カラダの浄化がうまくいっていれば良しだが、おそらく薬で抑えてしまっているケースではそういったことに目を向けれていることは少ない。症状的に軽く勝手にカラダががんばってくれて浄化できたというのはあるかもしれない。しかし多くは、問題の先送りである。慢性化するか、老廃物を他の症状として(喘息とか)排泄しようとするか、カラダに蓄積してしまうか。
ストレスや筋緊張などによる浄化能力の低下(免疫、内臓機能)か、老廃物を多く出すような摂取を続けたか、あるいは両方か。
疲れについて⑤
疲れがたまるには理由がある。
疲労・負担>回復
この関係になるとどんどん蓄積していく。
よほど負担が大きいのか、回復力が小さいのか。あるいは両方か。
自分では関係が無いと思うことでも影響していることは多々ある。
日常の平凡な行動の中にこそ理由がある。
新しい靴が負担をかけている。新しい寝具が影響している。おやつが負担になっている。姿勢が問題。
・・・いいだすと限りないが、理由なくこの関係になることは通常無いと考える。
ひとそれぞれ。
疲れについて⑥
お盆の連休明けはどっと疲れが溜まっている人が多いのではないでしょうか。
普段なれないところにいったり、長時間車や電車にゆられていたり、お子さんをずっと抱っこしていたり、海やプールで泳いだり・・・。
疲れは身体の回復力とともにとれていくものです。
しかし、蓄積するととんでもないことにもつながります。
特に暑さで冷たいものばかり摂取していると、内臓が弱ります。
内臓が弱ると回復力が落ちます。
ゆえに、連休明けの体調には充分な注意ケアと休養が大切です。
みんななかなか忙しいのでそうはいかないようですが、自分の身体は最後は自分で守らないととんでもないことが待っているかもしれません。
疲れについて⑦
体の疲労はある程度とれていく。
しかし心の疲れはなかなか手ごわいことがある。
寝ていてもストレスがあると身体も心も休まりにくい。
身体も心も回復しづらい。
環境的に改善がなされない、あるいはストレスの原因を解消できない状況では、こういったことがおこる。
ストレスの強い弱い・短期間長期間の違いは様々だが、意外と心の疲れについて意識していない人がいる。
「どうも身体の疲れが取れにくいナー」「ドリンクでものもうかなー」という感じで。
心の疲れがたまるのは、「切り替えが悪い」ことがあげられる。
いつまでも負の感情にとらわれてしまうとこのようになる。
疲れについて⑧
少しはなしがかわるが、眠る前と起きたときがたいせつ。
睡眠中にカラダは回復する。
眠る前はなるべくリラックスしたイメージを持つ。
暗い話や悪いことは考えない。
潜在意識が睡眠中にうまく身体をいい方向に導くので、いいイメージを持つ。
加えて起きるときも同じく。
案外こういうことが大切になる。
疲れについて⑨
ココロとカラダはつながっている、ひとつである。
疲れについて考えるとそれがよくわかる。
カラダがしんどいと気持ちもしんどい。
気持ちがしんどいとカラダもしんどくなる。
ココロの疲労は体にも影響する。
ココロがころころと切り替われば、カラダはうまくいきやすい。
一日をいい感情で生きること。楽しむこと。
もし、心に引っかかることがあれば、それをうつむいた気持ちや怒りの気持ちのままひきずらない。一旦ココロをリフレッシュさせれる気分転換を試みる。
その後にインスピレーションに従い行動する。ココロを楽しい状態で再び望んでみる。
意外と答えが引き出せたりする。
もっと、自分の感覚を信じてみても良い。
それは気持ちが感情がワクワク楽しい状態であればこそだ。
疲れについて⑩
毎日何かを活動するので疲労は伴う。しかし、一日の疲労はその日で解消できればいいのだ。
ここでいう疲れとは、「蓄積されて心身に影響を及ぼす疲れ」である。
疲れをためないためのことを色々と論じてきた。
そこでとっても大切なことを述べておきたい。
何かに夢中になることはとても素敵なことだということ。
時間を忘れてワクワクする気持ちを一日の中でたくさん持つこと。
いい時間の使い方をすること。
こういう状態での疲れは疲れに感じにくい。
気持ちも身体も。
やりすぎて疲労が溜まることはある。
しかし回復力もまた最大限に活用されやすくもある。
無茶をせよということでは決して無い。
ワクワクするという気持ち、感情が実は疲れにとってとても大事なファクターなのだと思う。
ワクワクすること。
それは人生を左右するファクターだ。
生きるという本質にはじつはこの要素が欠かせない。
生きることそのものの本質とはワクワク楽しむことにあると考えてみよう。
あなたの今一瞬で感じるワクワクは何か。
小さいと思うことでもいい。
それをまずはワクワク楽しむことを実行してみることだ。
そして楽しみながら次のインスピレーションを感じること。
時間の使い方として、こういう時間が増えれば増えるほど実り豊かになる。
「忙しくてそんなことやっとれませんわ」
忙しいことはあなたが本当にしたいことですか?
「~せねばならないこと」は「~したいこと」と比べて多いですか?
生きることを複雑に捉えると複雑になっていく。
シンプルに捉えるとこれほどシンプルなものは無い。
選ぶのは自分。
疲れについて⑫
話が飛躍しているようだが、とても重要な話だ。
疲れが溜まる、ココロの捌きが悪いというのは、「~せねばならない」が疲れになっていることが多いと思う。
自分の本質的な感情が望んでいないことを、肩に力を入れ続けて、心身を緊張させ、周りとの優越を意識し続ける。
これで疲れが出ないほうがおかしい。
別に特別なケースを指しているわけではない。
日常の中で少なからずこういうシーンはあると思う。
これを知ってかしらずかダメージを蓄積していたりする。
問題は「当たり前」だと思い込んでしまっている状況だろう。
誰かに指摘されたり、きっかけがないと気付かない。
きっかけのひとつに「病」「症状」がある。
それを期に気付く人もいる。気付かない人もいる。見てみぬふりをする人もいる。さきのばしにしたりごまかしたりする人もいる。
自分の選択だ。
本当に素直に求めれば、きっと答えやヒントは出会えるだろう。
気付くか気付こうとしないのか。
疲れについて⑬
ワクワクすることは自分にしかわからない。
自分の心と感情に素直に問いかけてみよう。
頭で考えずに。
自分を思い描いて、何でもいいから「ワクワク」することが今やってみるべきことだ。
なんでもいい。まずは。
???なら、深呼吸をしてみよう。
ご飯を食べる前に「いただきます」をいつもよりココロを込めていってみよう。
食べ終わったら、「ごちそうさま」といってみよう。
あたりまえにいつのまにか生まれてから死ぬまでさぼることなく自然と「呼」「吸」を繰り返していることを想像してみよう。
いただきますとは「いのち」をいただきますということ。
ごちそうさまとは「いのち」をありがとうということ。
おぼれかけたなら、はじめの一呼吸にどれほどのいとおしさを覚えることか。
飢えていれば、たとえご飯をひとかみするだけでも幸せを感じることが出来る。
のどがカラカラなら、一口の水に命を感じる。
本来、人間は生命であり、生命は自然に溶け込んで流動していく。
生まれては形をかえていく。
繰り返し生命や物質は相互に循環し助け合い一つをなしている。
万物を為すものは全てひとつである。
人間は感動できる感性を持っている。
感動をワクワクといってもいい。
それは本来の生命の姿なのかもしれない。
自然の姿を謳歌して調和しながら(ときにつまづいてもまたたちあがり)生命活動をしようとする。
そこからはずれるほど、心身の疲れがたまる。
ときにはぼんやりと夕日を眺めたり、芝生に草むらにねころがってもいいのではないか?
自分が感じるように生きること。
自分で選ぶこと。
疲れについて⑭
疲れはためないこと。
心も体も。
いかにして切り替えるか。
環境をととのえるか。
そのカギのひとつは「習慣」である。
小さな習慣を何か一つでもいいから変えてみること。
睡眠前のTVはみないとかでもよい。
とにかくなにかをかえてみること。
はじまりはそこから。
継続は力となり、あなたを導く。
疲れについて⑮
習慣について。
習慣をうまくコントロールできる人は色々なことが回りだす。
疲れについても同様。
一日をいかにして疲労<回復にむけていくか。
その積み重ねが半年一年後には大きな違いを生む。
もちろんその間に「回復に向けてのいいきっかけ(施術など)」を組み入れればさらに回転率があがる。
習慣について人はあまりみつめない。
それを一度見つめてみるといい。
気付かない何気ないことが身体や心に疲労を生んでいる。
「???」というあなたへ。
たとえば、TV。
どんな内容のものをみていますか?
眠る前にTVみていますか?
暗い嫌なニュースは潜在意識に刷り込まれるといい結果に繋がらない。
心身の疲れの一因となる。
案外とこういうことは普段思いもせず、なんとなく見ていたりする。
たかがTVだが、あなたは一日何時間見ていますか?
そして毎日見ますか?
これは氷山の一角に過ぎない。
もしも集中力が続かない、イライラしやすい、ネガティブに陥る、疲れが取れない・・・
こういう人はたかがTVをどうしていますか?
さらにその他の日常はどうですか?
あなたは幸せである一瞬一瞬を大切にしていますか?
疲れについて⑯
習慣が大切だということを述べた。
じつは、これはとても重要だ。
習慣とは一日の流れをある意味で支配する。
一日の中での自分の様々なありように影響する。
寝る・おきる・食べる・歩く・考える・想像する・笑う・・・
いろいろな感情や行動の中で人は一日を過ごす。
もしも一日の習慣が自分の何事においていい影響を及ぼすものだとしたら。
果たして一年後あなたの環境は大きく変わっているだろう。
疲れが溜まることとはこういった習慣力が左右する。
疲れは習慣と比例する。
もちろん、急激な負担がかかれば疲れは出る。
ただ、回復力は習慣が鍵を握る。
日常の平均的な疲れは習慣のあり方で大きく変わる。
こころとからだ。
ともにそれは関係してくる。
習慣とは「一日、一瞬一瞬をどのような感情と行動で生きるか」という命題である。
全く同じ瞬間は無い。しかし、平均的なリズムとしてのアベレージがある。
そのアベレージが心身に対してどのような影響をもたらしているのか。
仮に急激な負担がかかっても、のりきれるかダメージに繋がるのかが変わってくる。
免疫がしっかりしていると、周りの人が風邪を引いても元気でいられる。
免疫が弱ると周りが普通でも自分だけ風邪を引く。
これは自分の「素体」に原因がある。
菌やウィルスは「素体」の弱りや老廃物の蓄積でこそ影響してくる。
元気な身体には影響しにくい。
免疫の強弱を決めるのは何か。
それは日々の暮らしである。
何を食し、何を思い、何を循環させ、どのような休息をもつか。
一日一日をしっかりしたアベレージで暮らせているのか。
これが「習慣力」である。
疲れについて⑱
たびたび疲れについてのべている。
それだけ実は重要なことだ。
実はほとんどの病や症状は心身の疲れが関わる。
先天的なものや突発的外力(事故など)を除けば、ほとんどがこれだ。
案外力説されないようなのでここで力説している。
そして、疲れの蓄積は「習慣」に由来する。
習慣を見直し、変えていくことが大切だ。
あるいは、誰かの助けを借りて心身のリフレッシュを図っていくか。
どのみち、それにも習慣を変えてもらう必要がある。
習慣とは、養生法であったり、健康法であったりを指すのみではない。
普通の食事・睡眠・座る・歩く・笑う・思う・・・・・・
普通の何気ない日常にこそ比重を置くべきものである。
病や症状にぶち当たったとき、実はここに着目できるかが早期回復につながるポイントとなりうる。
疲れについて⑲
継続は力なりとはよくいったものだ。
習慣力とは継続することともいえる。
疲れをためるためないは、ある意味で習慣を継続することと無縁ではない。
継続や習慣とは何か。
それは「今日」を生きること。
どんな今日を過ごすのか。
昨日でも明日でも無い。
大切なのは今なのだ。
今何を感じて生きているか。
一瞬一瞬に宿るワクワク感。
それにしたがって生きること。
楽しいことは疲れを忘れるとも言う。
ワクワクする時間が長いと疲れは溜まりにくい。
実際免疫は上がるだろう。
内臓も活発に働くだろうから。
ワクワクする瞬間を一日の中でどれだけつくれるのか。
習慣を継続することとは、疲れを蓄積しないようにするには・・・
「ワクワクする習慣」を身につけるということだ。
今日の一瞬一瞬で自分が感じるワクワクを実行に移してみること。
そんな習慣を身につけたならば人は大きく飛躍するだろう。
疲れについて⑳
疲れやすいひとがいるとする。
どうしてそうなのかは人によって違う。
環境がそうさせる。
ストレスがある。
運動不足。
飲食の不摂生。
内臓力の低下。
色々あるが、疲労>回復の図式になっているので疲れる。
その人の習慣や環境を解放する。
心身を整える。
時間が少しかかってでも人は変わっていける。
特に、気持ちの滞りは重要だ。
いかにして気持ちをリフレッシュさせるか。
さらさらと切り替えるか。