病因病理について① 2012-07-16 19:26:22

 

 

病因病理とは、簡単に言うと、原因とそこから病気に至るまでの仕組みです。

東洋医学では大変重視される考え方です。

枝葉をいくら払っても、根っこがよくなっていなければ枝葉はまた出てくる。

原因を突き止めアプローチしてこそ、根本改善していくという考え方です。

これの反対が『対処療法』です。

症状をおさえることに必死になり、原因追求ができていないという姿です。

緊急で危険性が高ければ対処療法は必要になることがあります。

まず症状を抑えないと命の危険があるからです。

全ての対処療法を否定するものではありません。

ただ、現代医療において、治療と名をつけるもののその中身が対処療法であることが大変多いわけです。

症状を封じ込めることで、一見よくなったかに見えます。軽ければ、抑えているうちに体の回復力で問題解消されていくこともあります。しかし、別の症状として出てきたり、封じ込められることで体の中で溜まっていき大きな症状に繋がることもあります。

アトピーは皮膚病とされますが、実はカラダの老廃物を普通の工程内で処理しきれないのでやむなく皮膚から出している姿なのです。

薬で抑えると、原因が治っていないとまた出てきます。薬も段々増やさないと抑えきれなくなったりします。

別の症状(喘息)として出てくることもあります。

体にためて別の種を育ててしまうことが一番怖いことです。

では、「紫斑病における病因病理」とはどういうものか。

 

 
 
病因病理について②  2012-07-17 11:32:53 
 

紫斑病において。

病因での処置は、対処療法側にあたるでしょう。

ステロイドで症状を抑える。原因はよくわからない。

おさている間に、体がある程度回復すればおさまっていくし(あるいは封じ込めた)、おさまりきらなければひどくなる。

アレルギー性でも血小板減少性でもおなじこと。

無痛ゆらし療法では、首と内臓に問題があるとみます。

ここを改善すれば症状がおさまっていくことが多いからです。

再発性も生活環境をわるくしなければ大きくなりにくいといえます。

もっと大事なのは、「なぜ首と内臓がわるくなったのか?」

小さいときに高いところから落ちたりすると首に問題が出るかもしれない。これは、可能性であり、必ずその影響を受けているとは証明しにくい。生活面で影響を受けているかもしれないからです。姿勢やストレスいろんなものが影響しあいます。内臓も食事運動ストレスなどをはじめ、さまざまな因子と関わります。

お腹にいるときから親から受け継いだ老廃物が体にたまっているのかもしれません。生まれつき敏感なアレルギータイプの人はそういったことも考えられます。

ひとりひとり、背景は違うわけです。施術のみならず、再発を防ぐためにも、病因病理をつかまえておく必要があります。

 

 

 
病因病理について③  2012-07-18 10:22:33NEW ! 
 

紫斑病であろうとなんだろうと、いかなる疾病にも病因病理が存在する。

病とは「体の反応」ともいえる。

体が自浄作用をするためにやむなく症状として反応をおこし、体を守る。

前述したアトピーについてなどがその典型例である。

出血・炎症・出来物・・・これらは、病気というよりも「何らかの原因があり、それらを処理しようとした結果生じたもの」すなわち病因病理とは、そのまま体の自浄作用の流れの仕組みを示すものでもある。

東洋医学では、出血とは「熱・オ血・気の弱り」によりおこるとされる。

これらも、体の自浄という観点から見ると、

熱=炎症を起こしても処理しきれないので出血させる

オ血=血の汚れや滞りを出血させる

気の弱り=内臓力の弱りで老廃物の処理が滞るので出血させる

ともとれる。

究極的には、体が体を守ろうとする大いなる仕組みの元、病というものは存在してくる。

潰瘍性大腸炎やクローン病といった難病も、自律神経の乱れと内臓力の低下が関わる。

これらによる自浄処理として、消化器系の炎症症状がいたるところで起こる。

それだけの負担を体に背負わせた結果である。ストレス・飲食の不摂生・運動不足・姿勢・薬の多用・・・いろいろな負担を封じ込めたり、ごまかしたり、ガマンしたりしていると、あるとき大病になる。

負担が大きいほど、危険度も増す。

上の気が滞り、下の気の弱りが関わる。

現代病というが、現代の生活スタイルだからこそ起こりやすい病ともいえる。

治療を行う(西洋医学的対処療法や、なにかしらの根本療法)上でも、並行して上記の改善認識は不可欠のはずである。

しかし症状に捉われすぎると、本質を見失う。

人によって、生活や筋緊張部位が違うので、どこに緊張があるかで、炎症や症状が発生するところが違ってくる。

難病は、至って平凡な成り立ちからのスパイラルによる蓄積なのである。

もちろん急激な刺激(放射能や毒)は例外である。

(放射能も、出血や炎症がおこってくるのもまた自浄作用である。それらがまにあわないほどキツイ負担なので命に関わる。)


紫斑病における病因病理。ふりかえっていただきたい。何気に平凡な日常で、急激に症状が出てくるようにみえる。

しかし、その前段階でなにかしらの蓄積があったのではないかと一度みつめていただきたい。

風邪を引きやすい(=内臓力高くない状態、免疫弱り)の子に、他の子(比較的元気)と同様量のあるいは上回るお菓子類を与えていなかったか?その質はどうか?人工的添加物や材料はその子が処理できうるものだったのか?排泄はきちんとうまくいっていたのか?睡眠入浴はどうか?シャワーですませていないか?

疲れやすかった、カゼや感染症にかかりやすかった、大きな風邪を引いてから紫斑病になった。

これらは、みな理由がある。うまく働けていない内臓と体の自浄作用の関係。炎症を起こしてもなお自浄する必要があったり、アレルギーのように過敏に入ってくるのを防ごうとしたり。負担でいっぱいになったとき、紫斑病は起こる。アレルギー性でも血小板減少性でも。

生まれつきの体の弱さ、体質(親の毒を蓄積している、時間をかけて処理していく)も関連する。

多くは後天的生活状況にある。

 

 

 
病因病理について④  2012-07-19 09:35:47  
 

無痛ゆらし療法では、病因病理に対して本質をとらえることを行う。

 

 

自律神経と筋緊張、そこからの内臓力の回復。

 

 

生活背景への見直し。

 

 

自ずと自浄作用が高まる。体への出し入れも安定する。

これらを通じて改善していく可能性を高める。

 

結果として回復していくケースが存在する。

 

 

なにより最も大切なのは、負担に気付き、見直そうとする気持ち。

 

 

気付けば、次にいかせる。今も処置ができうる。

 

 

気付かないと、なぜそうなるのかわからずまた繰り返したり、別のものとして表れたりする。

 

 

苦しいが、ひとつの機会と捉えて家族全体で見直す勇気も大切だと思う。

 

 

~病だからこの薬飲んどく」これに少し慣れすぎると本質を見失いやすい。

 

 

症状が伏せれば全てが解決したわけではない。(解決していることもあるが、本質が改善されているものか、ごまかして封じ込めただけなのか)

 

 

アレルギー性紫斑病でも紫斑がでる。それもひとつの反応だ。

血小板減少性紫斑病で、血小板を減らしてでも出血させようとするのは、そこまでして出血させたいからだの反応なのかもしれない。

 

 

あくまで、私の考えだが。

  

  

 
病因病理について⑤  2012-07-20 09:26:41  

病因病理について書いている。


根本的治療や改善ではない「対処療法」が全くの無意味で有害なものときめつけることはできない。

緊急的な処置においては、最優先されるケースが存在する。


しかし、なにかをごまかしたり、封じ込めたりすることはリスクを多かれ少なかれ残す。

それをカラダが事後処理可能であればそれもまた収まりがつくのかもしれない。


問題は収まりがつかないときだ。副作用や、別の症状として表面に現れる。

 

直後か時間を置いてかはそれぞれ。


そういうことを認識した上で行うのならまだ救いがある。


しかし、表面的・今をしのぐ的にのみ目的を置いた(やっている本人はその自覚がなかったりもする。これがすなわち治すことと理解している。治すとごまかすはちがう。)処置を続けてしまうことがある。


そのツケは本人達が思いもしない形で現れることがある。

 


それ故に、「どうしてこうなったのか?」「原因不明だ」「難病だ」と陥ってしまう。

 

 なににせよ因果関係はあるものだ。
 
 
 
 

 

 

病因病理について⑥  2012-07-21 18:03:47  
 

病因病理を見出すということは、「その人の歴史的背景の経過を追っていくこと」

ともいえる。

 

 

現症状のみならず、過去の症状や体質、生活状況、身体の浮き沈み、ココロの移り変わり、周りの環境変化・・・

 

 

こういったものを振り返る必要がある。

 

 

現在の状況が昔の生活が理由で起こったものかもしれません。

 

治すと思っていた薬の思わぬ副作用が今頃出てきているのかもしれません。

 

 

歴史が浅い子供なら、あるいは親の生活状況や妊娠中の胎教環境はいかがだったのか。

 

親の体質を受け継いではいないか。

 

親の心理状況の影響を子供は受けたりもする。

 

 

 
病因病理について⑦  2012-07-22 07:51:17  
 

「病は人生を改めるきっかけであり、何事かを教えてくれるもの」

 

 

こういった目線で病を見つめてみると、今まで見ようとしてこなかった様々なことに気付かされる。

 

小さな感謝、ありがたさ。こういったことに立ち止まって気付くためのものとも受け止めれます。

 

 

病と闘うという言葉がありますが、病がカラダの生理反応生命反応だとすれば、あるいは自然の啓示と受け止めれば、闘うことよりもまず「自分に気付く」ことが第一歩なのかもしれません。

 

 

病因病理とは病を治すために導くものですが、同時に自分を知り改めるための糧でもあります。

 

 

治療者側のみ知ればよいものではなく、むしろ、患者さんが受け止めるものでしょう。

 

 

治療は、治療者のみに依存するものではなく、協力者とともに気付き改めていくきっかけを育んでいくものです。

 

 

治療者は、気付きを引き出し、心身にきっかけを与え続けて回復力を高められるようにサポートする役目です。

 

 

最終的には、本人の回復力が負担を上回るかで治る治らないが左右されます。

 

 

 

 

病因病理について⑧  2012-07-23 09:36:44  
 

いきなりの病に襲われた方。何が起こったかわからず、現在の症状に振り回され、抑えることに躍起になると思います。

 

 

俯瞰的にその人の背景を見つめなおすことが出来たとして、より良い方向性に向かう指針が描けたとしたら。

 

 

協力してその方向に向かって進んでいくと、変化が出来てくる。回復の可能性が開けてくる。

 

 

すぐに回復に向かう方、時間をかけて進む方。様々です。

 

 

あとは、ご自身がどう判断するか。

 

 

違う切り口でやってみようというのならばお手伝いしますよという立場です。

 

 

無痛ゆらし療法を受けただけでのカラダへのリスクはないといえます。

 

 

あとは、踏み出す気持ちのみ。