私の考えること① 2012-07-24 09:43:19
私の行う施術は「100%必ず回復させてみせる」「この技術が回復させるんだ」という類の観念ではない。
技術は技術として理論があり、体へのアプローチをする。それの精度は重要だ。
しかし、技術が100なら回復も100という図式では無い。
まず、回復とはその人のもつ体からのみ生じる力である。普通にいけば勝手に戻る。これが体の自然回復力である。本来の力である。
これが滞ってしまったときに、元の回復力を引き出せるように滞りを除くお手伝いをするのが私達の役割である。
時に、驚くような回復力を示すことがあるが、魔法ではない。
100の力を200にできるわけではない。
元々100あるのに、50くらいしか使えていないだけ。だからその差に驚く。
生活の中で心身の疲れがたまり、どんどん回復力の泉は小さくなる。これらの問題点を解消していくことが重要だ。
体のみイコール回復でもない。
ココロのありようが体の回復力を大きく左右する。気持ちがふさぐと体がしんどくなる。免疫も落ちる。内臓力も低下する。
ココロが明瞭であると体のパフォーマンスは向上する。アスリートの精神集中はその証だ。
心と体はつながっている。
われわれは、施術や空間を通じて、心と体にきっかけを与え続ける。気付きを与える。
あるとき、ココロや体は気付く。楽に生き生きと活動していた自分を。
こうした結果として、回復につながっていく。紫斑病で「治す」というよりも出来うることをしていくと体本来の力が戻ってきて症状が回復していく可能性がでてくるケースが存在する・・と言っているのはそういうことである。
自分では予想外のことがおこると思考がフリーズしやすい。
そして、根本的な要因を見逃しやすい。
なんにせよなんらかの要因、因果が存在する。
たかが気持ち、たかが食生活・・・
これらの積み重ねが大きな波紋を生むことがある。
体にとっては必然でやむをえない状況なのだが、本人は受け入れられない。
紫斑まで出るということは、それだけからだの浄化作用に緊急性が生じたということ。
自律神経・筋緊張・内臓力、それらを囲む生活背景・過去の因子・・・
いうなれば、これらを見つめなおしてくださいという体からのメッセージである。
私の考えること③ 2012-07-30 14:23:29
私の行う施術は「100%必ず回復させてみせる」「この技術が回復させるんだ」という類の観念ではない。
技術は技術として理論があり、体へのアプローチをする。それの精度は重要だ。
しかし、技術が100なら回復も100という図式では無い。
まず、回復とはその人のもつ体からのみ生じる力である。普通にいけば勝手に戻る。これが体の自然回復力である。本来の力である。
これが滞ってしまったときに、元の回復力を引き出せるように滞りを除くお手伝いをするのが私達の役割である。
時に、驚くような回復力を示すことがあるが、魔法ではない。
100の力を200にできるわけではない。
元々100あるのに、50くらいしか使えていないだけ。だからその差に驚く。
生活の中で心身の疲れがたまり、どんどん回復力の泉は小さくなる。これらの問題点を解消していくことが重要だ。
体のみイコール回復でもない。
ココロのありようが体の回復力を大きく左右する。気持ちがふさぐと体がしんどくなる。免疫も落ちる。内臓力も低下する。
ココロが明瞭であると体のパフォーマンスは向上する。アスリートの精神集中はその証だ。
心と体はつながっている。
われわれは、施術や空間を通じて、心と体にきっかけを与え続ける。気付きを与える。
あるとき、ココロや体は気付く。楽に生き生きと活動していた自分を。
こうした結果として、回復につながっていく。紫斑病で「治す」というよりも出来うることをしていくと体本来の力が戻ってきて症状が回復していく可能性がでてくるケースが存在する・・と言っているのはそういうことである。